DSM-5やICD-11等の現行の操作的診断システムでは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と解離性障害とは別々のグループに分類されています。しかし本来は、この2つには密接な関係がありました。解離性障害のすべてがPTSDというわけではありませんが、PTSDのほとんどは解離症状を伴います。事故や災害等の単回性トラウマであれ、虐待等の長期反復性トラウマであれ、PTSDの症状には何らかの解離症状が必ず含まれているのです。特に後者に由来する複雑性PTSDではかなり重篤な解離症状を呈することが知られています。
「一日が終わってベッドで寝ているときに、はっと意識が戻ると、一日中何をしていたのかまったく記憶がない」
これは台湾の作家、林奕含の小説「房思琪の初恋の楽園」の中で主人公の思琪が中盤あたりで述べる科白です。このように記憶もしくは時間の喪失が、解離性障害の最大の特徴であるといわれています。また、この小説の他の場面では、トラウマの最中から体外離脱体験といった解離が生じる、いわゆる周トラウマ期解離peritraumatic dissociationに関する記述も見られますが、これは予後が良くないことの指標ともいわれています。
ところで、彼女の失われた記憶はいったいどこに行ってしまったのでしょう。脳の中のどこにもその残滓すら残っていないとでもいうのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。実はその記憶はそれぞれの人格のパーツのようなものが分散して持っています。そしてそれらのパーツの種類には、各々の分化の程度に応じて解離性フラッシュバックから交替人格まで様々なバリエーションがあります。
さて、この小説はそのメルヘンチックなタイトルとは裏腹に、内容は極めて残酷で悲しく人に勧めることすら思わず躊躇してしまうほどです。しかも、その文学的センスは驚くほど豊饒で作者の将来も大いに期待されただけに、私などはそのギャップと作者のその後の運命にほとんど絶句してしまいました。
では最後に、主人公が狂気に陥る前に姉のように慕っていた人物に向けて携帯電話越しに語った科白を引用しておきましょう。そこにはPTSDの一番厄介な症状である、自己と世界と未来に関するほとんど絶望的ともいえる否定的認知が余すところなく詰め込まれています。
「この世界はどうしてこんななの?……わたしが失望したのは姉さんに対してじゃなくて、この世界、この生活、運命、あるいは神と呼ばれるもの……わたしが一番嫌いなのは、『苦しみを経験した人こそ、よりすばらしい人間になれる』とか言う人……プラス思考なんて俗悪すぎ!……世界の裏側なんて見たくなかった」
それでも私は、苦しみを体験した人はそれを乗り越えたあとに必ず強くなれるのだという心的外傷後成長posttraumatic growthを信じて、今も苦しみの最中にある人々へ伝え続けていきたいと強く思っています。
【引用文献】
・林奕含著(泉京鹿訳):房思琪の初恋の楽園.白水社,2019.