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第7話:解離と悪魔憑(つ)き

 第2話で現代エクソシズムと憑依型の解離性同一症DIDについて話をしたと思います。ところで、映画「エミリー・ローズ」で有名になったアンネリーゼ・ミシェルの事件は1970年代のことですが、歴史上もっとも有名な悪魔憑き事件であるルーダンの悪魔憑きやセイラムの魔女裁判はいずれも17世紀に起きました。魔女狩りというと通常は暗黒の中世というイメージですが、実際には中世ではなく近世初期にもっとも猖獗(しょうけつ)を極めたのです。中でもルーダンの事件は、「天使のジャンヌ」と称された魅惑的なヒロインや悪魔と交わしたとされる契約書の存在など、後の悪魔憑きのステレオタイプを形成するのに大いに(あずか)りました(「尼僧ヨアンナ」や「肉体の悪魔」といった映画の元ネタにもなっている)。

 事件の発端は、1632年9月のある夜、フランス中西部のルーランという町にある女子修道院で、修道院長ジャンヌ・デ・ザンジュ以下数名の修道女が亡霊を見たところから始まります。それからひと月も経たないうちに修道院の中は修道女たちの阿鼻叫喚(あびきょうかん)と痙攣に満ちた収拾のつかない狂乱状態となり、各地から名だたる聖職者やエクソシストたちが集められ悪魔祓いと異端審問裁判が始まりました。やがて、修道女たちは彼女たちの告解師であったユルバン・グランディエというひとりの司祭を悪魔使いであると名指しで告発します。しかも、幸か不幸かグランディエが悪魔と交わしたとされる契約書の写し(現物は地獄にあるといわれる)まで発見されるに及び、1634年8月、とうとう彼は衆人環視の中で火刑に処せられてしまったのです。

 今日ではこの事件は単純な魔女狩りなどではなくて、様々な政治的思惑も絡んだ複雑な事件であったことが分かっています。中でも、図らずもヒロイン役を演じることになったジャンヌ・デ・ザンジュはまさにこの見世物における一番のはまり役でした。仮に彼女がジャンヌ・ダルクの如き無名の百姓娘であったとしたら、グランディエのようなスケープゴートは不要だったに違いありません。しかし、彼女はまだ30歳にも満たない妙齢のエリート修道院長であり、また当時のフランス政界を牛耳っていた(あのアレクサンドル・デュマの三銃士の物語でも有名な)リシュリュー枢機卿の親戚でもありました。ですから、彼女の聖性を維持するためには、その悪を一身に引き受ける別の人物の犠牲が必要だったのです。

 実際、グランディエの死後もジャンヌには聖痕をはじめとする不思議な現象が生涯続いたことが知られています。つまり、彼女はグランディエによって悪魔憑きにされたというよりも、それとは無関係に始めからいわゆるヒステリー、今日的用語でいえば解離性障害だった可能性が高いのです。とはいっても、私は解離性障害の人がすべて悪魔憑きだなどというつもりは毛頭ありません。しかし、悪魔憑きになる人のほとんどは解離性障害かあるいは解離障壁の低い人だということはできるでしょう。

 さて、近年エクソシズムが復権しバチカンがエクソシスト養成講座を開催していることは以前に述べた通りです。そして、悪魔憑きだけでなく世界中で普遍的に見られる憑依現象の一部が解離性障害の中に含められることになったのも、つい最近のことでした。今後、精神医学はこのような霊性の問題といったいどう向き合っていくのでしょうか。かつてシャーマニズムと精神医学との境界を徘徊していた者として、この話題には本当に興味が尽きません。

【参照文献】
・ミシェル・ド・セルトー著(矢橋透訳):ルーダンの憑依.みすず書房,2008.