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第8話:エクスタシーの精神医学

「転生のもっとも深い心理的源泉は『恍惚(こうこつ)』だったのだ」(三島由紀夫)

 エクスタシーとは、一般には恍惚、宗教学では脱魂(だっこん)、哲学では脱自(だつじ)などと様々に日本語表記されてきました。精神医学の世界でも極めて重要な状態像として古くから言及されてきたにもかかわらず、その医学的定義は長らく曖昧なままでした。それは、この体験がはたして気分や感情の障害であるのか、あるいは幻覚妄想のような知覚や認知の障害であるのか、はたまた思考や自我意識の障害であるのかが今ひとつ判然としないからでした。

一方、宗教学者であるミルチャ・エリアーデによれば、エクスタシーとは魂が自己の外側に抜け出て天界飛翔や冥界(めいかい)下降する体験であるとされ、シャーマンにとっては憑依よりもランクの高い体験であるとみなされてきました。一般にシャーマンといえば霊を憑依させるイメージが強いようですが、ただ霊を降ろすだけならそれは単なる霊媒(ミーディアム)であり、特に死んだ人の霊を降ろす死霊憑き(ネクロマンサー)に至ってはシャーマンですらないというのがエリアーデの見解でした。つまり、憑依のように体もろとも意識を乗っ取られるのではなく、自らの意思で意識あるいは魂が体から離れ自らの意思で体に戻ってくるという随意性あるいは自発性が重視されたのです。

語源を遡ってみると、エクスタシーはギリシア語のek-stasis、つまり「外に立つ」という言葉から来ています。その意味では、天井や少し離れたところからまるで映画か芝居でも観るように自分自身を観察する体外離脱体験が一番ぴったりくるのかもしれません。体外離脱体験は、柴山雅俊が空間的変容と呼んだ広義の解離症状の中のひとつで、解離性障害の患者さんたちの話を注意深く聞いていると割とよく耳にすることができます。

中にはちょっと珍しいですが、ダンテの「神曲」や手塚治虫の「火の鳥」のように、魂が体から離れて天国や地獄を巡ったとか何度も死んでは蘇ったというような壮大な体験を話してくれる患者さんもいます。これらは古くは夢幻様体験形式とか挿話性緊張病などともいわれ、かつては非定型精神病、現在では比較的予後の良い急性一過性もしくは短期の精神病性障害として知られているものです。こうした場合、それらの体験は患者さんにとって極めて印象深くかつ貴重なものとなるらしく、たとえばレーモン・ルーセルのようにそれを再体験しようとするあまり、ついには「アフリカの印象」という他に例を見ない独創的な文学にまで昇華させた者もいるくらいです。

このように、目の前の現実を天国や地獄のような別のリアリティに変容させることによって自分自身を変貌させようとするのは、シャーマンに限らず古今東西で広く用いられてきた自己変革の手法のひとつでもありました。ちなみに、私はそれをちょっと気取ってエクスタシーの投企的側面と呼んでいます。一方、憑依の方は、エクスタシーとは逆に自分自身を変貌させることによって世界を変容させようとする社会変革として捉えることも可能で、私はそれを同じように憑依の投企的側面と呼んできました。解離にはこのように、単なる症状を超えた極めてポジティブでドラスティックな一面もあるのです。

池間島の御嶽(うたき):アダンニー(阿旦根)あるいはウイラジャー(海の座)の砂香炉

【引用文献】
・三島由紀夫:豊饒の海・第三巻-暁の寺-(新潮文庫).新潮社,1977.

【参照文献】
・ミルチャ・エリアーデ(堀一郎訳):シャーマニズム-古代的エクスタシー技術-.冬樹社,1985.