リフレクティングは、近年脚光を浴びているオープンダイアローグ(以下ODと省略)の3つの側面、すなわち世界観、サービス提供システムおよび対話実践の中で、最後の対話実践を構成する重要なピースのひとつとして徐々に注目されるようになってきました。しかしながら、ODの提唱者であるヤーコ・セイックラも認めているように、ODのアイデアの多くはリフレクティングに由来するものです。ここではリフレクティングを実施するための手順については成書に譲り、リフレクティングの本質的と思われる側面について幾つかの説明を加えてみたいと思います。
さて、リフレクティングとは、ふたつ以上のコミュニケーション・システム、たとえば外的会話(もしくは水平性の対話)と内的会話(もしくは垂直性の対話)の構造的カップリングによるオートポイエーティック・システム注1)の創発的進化に基づいた新たな会話形式のことです。1985年3月にトム・アンデルセンが偶然を装った周到な準備の末に発見したものであるといわれていますが、実際に彼がしたことといえばミラノ派の家族療法の面接場面においてクライエントおよびその家族のグループと専門家集団とを分け隔てていたワンウェイ・ミラーを撤去するという実に単純なことでした。しかし、それは同時にふたつのグループの間の階級的な差異を帳消しにするということでもありました。ワンウェイ・ミラーとはいわばミシェル・フーコーのパノプティコン注2)のように監視する者と監視される者を区別する象徴的な装置だったのです。
したがって、私たちはリフレクティングを単なる対話実践の新規な技法のひとつであるとは考えていません。むしろ硬直し動脈硬化に陥ったセラピストとクライエントの関係性に新たな楔を打ち込むものであると信じています。トム・アンデルセンの同僚でもあったマグヌス・ハルトも、「リフレクティングは民主的democraticなものである」というような言い回しで表現しています。また、ODの12の基本要素の中で最初に強調され、リフレクティングでも重視されている「本人のことは本人のいないところでは決めない」というルール、あるいは公準もそのことを端的に述べたものであると考えられます。
ところで、リフレクティングによって目指されるセラピストとクライエントの新たな関係性とは、柄谷行人がいうニュー・アソシエーション、すなわち原遊動性Uに基づく交換様式D注3)とも深い関わりがあると思われます。そこには分析する者と分析される者、あるいは解釈する者と解釈される者という交換様式BやCに由来する関係性を超越し、原始キリスト教のような治療共同体を目指そうという動機が隠されているのではないでしょうか。そして、それは中井久夫が提唱した内治療的関係性注4)を重視する、私たちのアウトリーチが目指すものとほとんど同じものでもあります。私たちがリフレクティングの思想と方法論を大切にする背景には、実はそうした考え方があるのです。
さて、リフレクティングの国内における第一人者である矢原隆行は、聞くことと話すことを切り分ける場としてのリフレクティング・プロセスと並んで、そのふたつを響き合わせる間としてのリフレクティング・トークの重要性を強調しています。これは会話のタイミングとか余韻、残響のようなものを含めたものですが、トム・アンデルセンはこれをアデル・ビューロー・ハンセンという理学療法士から学んだといいます。彼女は筋肉の弛緩と緊張、呼吸状態、そして心的外傷との関係に注目して独自の理論を構築しました。それはある意味、武芸者の間合いに近いものがありますが、トム・アンデルセンはそこから適度な差異という概念を抽出しました。小さすぎる差異では相手に何の傷痕もつけることができず、逆に大きすぎる差異はともすれば相手に致命傷を与えてしまいます。つまり、システムに有効な変化をもたらすためには、そのどちらでもない適度な差異、適度な間合いが必要ということです。それが間としてのリフレクティング・トークということになるのです。
注1)オートポイエーティック・システムとは、ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・ヴァレラにより提唱された、「構成素が構成素を産出するという産出プロセスのネットワークとして有機的に構成されたシステム」のことです。ひとつのオートポイエーティック・システムと他のシステムとは、システムと環境という構造的カップリングとして影響し合う関係にありますが、直接的な入出力はありません。そのことをオートポイエーティック・システムは閉じているがゆえに開かれていると表現します。
注2)ワンウェイ・ミラーとは、映画やドラマの中でしか見たことはありませんが、警察署の尋問室にあるような一方向からしか見ることのできない鏡のことです。また、パノプティコンとは刑務所に代表されるような効率的に他人を監視するシステムのことですが、両者とも支配する者と支配される者という力関係を象徴するものでそれ自体が権力を内包したものであるともいえます。
注3)アソシエーションとは、カール・マルクスが共産主義の理想として掲げ、ジョルジュ・バタイユがアセファル(無頭人)と呼んで不気味な絵とともに提示した、原遊動性を特徴とする採集狩猟民にまで遡る互酬性に基づいた組合のような組織のことです。柄谷行人はネーション=国家=資本による支配を経て交換様式Dによって新たに回帰した組織をニュー・アソシエーションと呼び、そういったものを目指す運動をNAM(ニュー・アソシエーショニスト・ムーブメント)と名付けました。専門用語をできるだけ排して平易な言葉で語ろうとするリフレクティングは、まさにNAMにぴったりな対話様式ということになります。
注4)内治療的関係とは中井久夫の造語で、癒された者が癒す者になるという意味ですが、単なる仲間を意味するピアという用語とは異なり治療者の自己産出を特徴とするものです。つまり、セラピストとクライエントの関係は固定されたものではなく、いつでも交換可能な、あるいはこういってよければ横断性transversalitéを持つものであるということです。