「高まりつつある興奮が私の身体的能力を強化する効果をもたらし、普段ならとても到達できないような持続力で私は踊り続けた。一瞬、私はあたかも私の中の他の何者かがダンスを演じているかのように感じていた」(引用文献より拙訳)
これは有名なダンサーでもあったレオニード・マシーンが、「三角帽子」という舞台での自らの演技を振り返って述べた言葉です。彼は20世紀初頭のパリにおいて大いに殷賑を極めたロシア・バレエ団の3代目振付師で、これまた有名なニジンスキーの後釜としても大活躍した人です。ちなみにこの時の舞台美術はパブロ・ピカソが担当し、興行主は今日のプロデューサーの走りともいえるセルゲイ・ディアギレフでした。ロシア・バレエ団はこの他にもジャン・コクトーやエリック・サティなどといった当代を代表する芸術家や文化人が多数参加したことでも有名でした。
さて、このマシーンの例を引くまでもなく、芝居や舞踏といった芸能の世界ではこのような憑依現象は日常茶飯事ともいえるものでした。役者がうまく役を演じることは役に入り込むとか役が降りてくると表現され、最近ではお笑いの世界でも憑依型芸人などという呼び方が使われているようです。つまり、憑依することは退屈で単調な日常を異化し、そこからの逸脱を目的とする演劇的な世界ではむしろ欠かせない要素なのです。中でも、能や狂言などで使われる面と呼ばれる仮面はそれ自体が憑依する人物の人格を象徴するもので、それを被ることによって瞬時に人格変換することが可能になります。そもそも、仮面を意味するペルソナはパーソナリティの語源にもなっていました。
こうした憑依が持つ演劇的側面を殊更に強調したのがミシェル・レリスですが、彼はその他に憑依の遊戯的側面や美的側面についても触れています。憑依が遊びとも何がしかの関連があることは、本邦におけるアイヌのイム研究の中でも示唆されてきました。イムとはかつてのアイヌ社会で見られた原始ヒステリー反応の一種で、ある特定の言葉(例えば蛇を意味するトッコニ)を契機に驚いて飛び上がる現象のことを意味します。これは元々トゥス(アイヌのシャーマン)のジャンピングに由来したものが、時代が下がるにつれて侵略者である和人に対する抵抗手段の一種となり、そして最後には子どもたちがイムフッチ(イムを演じるお婆さん)をからかう遊びへと転じていったものだと考えられています。
憑依者たちの変装や装身具も特徴のひとつです。一般に、憑依される者が美しく着飾ることや装身具を身に付けることの多いことは、カーニヴァルにおける仮装を思い浮かべると得心がいきます。また、かつてトカラ列島に存在した男性巫覡には女装している者が多かったという報告もあります。現在でも、メディアに出演する占い師や霊能者がきらびやかな指輪やエキゾチックな衣装を身に纏っているのを目にすることは珍しくないでしょう。レリスも述べていますが女ザール(エチオピアの女性シャーマン)には美人が多く、私自身が調査の過程で出会った女性の巫者たちも確かに魅力的な人たちが実に大勢いました。こんなこと、今だからこそ白状できることなのかもしれませんけどね。
【引用文献】
・Cardeña E, et al. Possession/Trance Phenomena. In: Dell PF, O’Neil JA (eds). Dissociation and The Dissociative Disorders -DSM-Ⅴ and beyond. Taylor & Francis Group; 2009.pp171-181.
【参照文献】
・ミシェル・レリス(岡谷公二訳):日常生活の中の聖なるもの.思潮社,1986.